日記

2006年03月07日


 先週は何かと慌しく、第一日は休廊、日記を書かずにおりました。
またヤフーオークションを再開いたしました。お手ごろ価格の作品を順次出品してまいります。
トップページから入れます。
明日は不在にします。




2006年03月02日


 今年も3月9日のサンキューアートの日に参加させていただいています。
3/1〜30 福井県立美術館でアイオー展が開催されています。




2006年02月26日


 このところ不在がちで失礼いたしました。

昨日の土曜日は天気もよく、川越蔵の会のイベントもあったらしく多くのご来場者がありました。
今日は雨がちで人でも少なく、ようやく数日分の日記を書きました。

さていよいよ3月、春の到来です。
我が家の狭い庭に立つミモザは、わざわざ見に来る人までいた立派な木でしたが、電柱ほどの太さになり、道路にはみ出した枝が視界を遮るので、この冬途中をバッサリきってしまいました。
それでも雪柳は青い芽を出してきて、パンジーも鉢から溢れんばかりとなりました。

4〜9月 東京都現代美術館の常設展示室で 特集展示 吉田克朗/中村一美  があるとのこと。
二人がどういう関係があるのかとも思いつつ、このアイデアを頂戴して、コレクションによる「もの派と中村一美」の展示を考えております。




2006年02月23日


 横須賀市にある「カスヤの森現代美術館」へ吉田克朗展を見に行ってきました。
川越からは、関越、環八、第三京浜、横浜新道、横浜横須賀道路と行って、横須賀葉山インターを出て5分、2時間強の行程でした。早春の横須賀道路のドライブは快適でした。
ヨーゼフ・ボイス、ナムジュン・パイク、若江漢字氏らをメインに収蔵した、竹林に囲まれた2000坪の敷地に立つ大変魅力的な美術館でした。吉田克朗展は写真とフォトエッチングによるものでした。
竹林に向かって開かれた喫茶室にはいろいろな作家の小品が所狭しと飾られていて、ソフトな語り口のオーナーのお話に引き込まれました。吉田のり子夫人にもお会いできました。

近々観音崎に出来るという横須賀美術館、神奈川県立近代美術館葉山館とこの美術館を巡るドライブは、お勧めです。




2006年02月19日


 瑛九展が終了、半数の作品が売約となりました。残った作品は引き続きご用命を承ります。
多くの方にご来場いただき、改めて瑛九の人気の高さを知りました。

会期中、S氏に新聞記事をFAXしていただきました。1997/12/25日経 文化欄の「北陸の里に現代美術の輪」という勝山の荒井由泰さんの文章でした。その最後に 20年たち再び原点に として
「・・今回の展覧会は、不思議なことに我々にとって初めての瑛九展だったが、・・・活動の原点は瑛九であり、二十年たってやっと再び瑛九にたどりついた」とあった。(福井には多くの瑛九支持者がいた)

川越画廊も過去多くの瑛九作品を取り扱って来たが、瑛九展は今回が初めてである。
今展は某コレクターの放出によりなったが、当画廊も開廊二十年を経て新たな出発を期するとともに、瑛九顕彰の一員として参加できたらと思う。




2006年02月15日


 今日は比較的来場者も少なく、ようやく瑛九の略歴を掲載した。
今展ではじめて某美術館の学芸員の方が来場。各作品について私なりに思っていることをお話したら、興味を持っていただいたようだ。
ご近所にお住まいの元日経BP社長のMさんが来場。日経で出した版画などのお話をする。東山魁夷だとか日本画が多いが、瑛九作品集にも話が及んだ。

Q ei について雑記帳に書いた。




2006年02月14日


 展覧会中は緊張感とご来場者のお相手で毎日くたくた。最近はもっぱら泡盛を飲んでバタンキュウー。思考停止状態です。最近出来たホームセンターに何十という泡盛の銘柄が置いてあるのです。

瑛九はおよそ半数が売約となり、会期はあと半分あるので・・勝手な期待をしてしまいますが、そうは行かないでしょう。
当方原則として手張り(買い取って)でやっているので、何とか原価を回収するまで売れればよいのですが・・。




2006年02月09日


 武蔵美のN先生が来廊され、「瑛九展はとてもよい展覧会だ」とお褒めいただく。特に「海辺」がいいと仰る。「海辺」は買えないからと、エッチングをご購入いただいた。

昨年末に都夫人に見ていただいたとき、「この作品はやさしい雰囲気が好きで、ずっと掛けて楽しんでいたが、いつしか(生活のために)手放してしまった」とのことだった。瑛九のサインが無いのでお願いすると「瑛九作 妻 杉田都」とキャンバスの裏面に書かれた。
妻と書かれたのをあまり見たことが無い。瑛九と過ごしたのが12年、その後お一人で45年にもなるのに、いまでも瑛九とともにあられるのだと思い、胸が熱くなった。

伝記を読むと、瑛九自身は「身を切るような真実への憧れ」から苦闘、苦悩の連続だったかもしれないが、親兄妹、友人、後援者・・交流のあったすべての人に愛されていたことが分かる。
木水育男氏は、1979年の小田急での瑛九展に「ぼくは瑛九が好きです」という文章を寄せている。またある創美の人からは「瑛九は絶対だ」とお聞きしたことがある。(絶対的存在とはどういうことなのだろう)






2006年02月07日


 瑛九とはどういう画家なのかとよく質問されるので、「瑛九 評伝と作品」を久々に読み返してみる。やはり一言ではいえない。
先日ある方が「リトを見ると心がざわつかされる」(あまり心地よくない)と言われたが、そこには「瑛九と岡本太郎に共通する何かがあるのでは・・」というアイデアが浮かんできた。
1936年フォトデッサンについてのくだりだが、瑛九がこういっている。
「・・・自分が求めているのは二十世紀的な機械の交錯する中に作られるメカニズムの絵画的表現であって、自動車の皮膚の冷ややかな光や、夜の街頭にめまぐるしく交錯する光と影は機械文化の中に咲いた花であり、そうした面を表現する絵画の分野がなければならないことはいうまでもない。・・・」
岡本太郎の言葉のようではありませんか。才能と知性にあふれた同年生まれの画家に共通項があっても不思議ではない気がする。




2006年02月02日


 昨日はあるお宅を訪問のついでに、少し遠回りして「大木うどん」に行った。じっくり味わってみて、おいしい理由は醤油にあると見た。隣が醤油の醸造所なのだ。

今日は彫刻などを倉庫に運び、表具店に行くといくら呼んでも誰もいない、帰ろうかと思ったらお嫁さんが出てきた。ご主人、襖一枚隣にいた。耳が遠いらしい、心配になって息子さん指定でたのむ。
ラーメン屋に行くのに熊野神社を通ったら、おみくじを始めたらしい。血液型おみくじを引くと「大吉」、瑛九展が楽しみだ。
事務所の作業台で額の裏をトンボにする。額装は無心になれて好きな作業だ。私は職人向きかもしれない。二宮のMさんは元画商で、額屋さんで成功した人だ。金ちゃん御殿の隣に美術館のようなアトリエを建てた。
瑛九をほぼ展示する。後はキャプションのみ。








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