大沢昌助

1903(明治36)年9月24日 
東京三田綱町に大沢三之助、みよ子の三人兄弟の次男として生れる。三之助は辰野金吾の教えをうけ、後に東京美
術学校図案科第二部(建築科)主任教授となる。兄健吉、弟三郎はともに建築に進む。また、三之助の妹いと子は、福
沢諭吉の長男一太郎に嫁いでいる。
富本憲吉、バーナード・リーチ、南薫造、高村光太郎らが父を訪ね、幼時より美術に親しむ環境にあった。
ついでながら、諭吉の長女ふさ(房子)の婿となった福沢桃介(1868-1938)は川越の出身で、その妹に歌人の杉浦翠
(1885-1960)がいる。(昭和60年のNHK大河ドラマ「春の波濤」で紹介された。)
後に昌助は、戦中の強制疎開で桃介宅に住むこととなる。
桃介の甥(兄の子)岩崎勝平(1905-1965)と大沢昌助は、義理の従兄弟ということになる。

1916(大正5)年 13歳
御田高等小学校から芝中学へ進む。父から水彩画を学ぶ。

1923(大正12)年 20歳
東京美術学校西洋画科に入学。長原孝太郎、小林万吾にデッサンを学び、三年次、藤島武二教室に入る。一級上に
猪熊弦一郎、山口長男、岡田謙三、小磯良平、一級下に吉井淳二、久保守。

1928(昭和8)年 25歳
東京美術学校西洋科を主席卒業。

1929(昭和4)年 26歳
第16回二科展に弟三郎をモデルに描いた「丘上の少年」「青衣の像」を出品し、初入選。

1932(昭和7)年 29歳
5月頃/世田谷区玉川奥沢町2-666にアトリエを建て転居。
国立音楽学校第一期生、ピアニスト北村季美子と結婚。

1933(昭和8)年 30歳
9月/25-28日動画廊にて「大沢昌助油彩個展」。
この頃、福沢一郎から精神的な励ましをうける。
*長谷川仁氏が最初に扱ったプロの画家が大沢昌助だったことは、長谷川仁伝記「へそ人  生 画商一代記」に
詳しい。

1934(昭和9)年 31歳
東京美術学校西洋科の昭和3年卒業生による第一回三春会展に出品(昭和16年まで毎回)

1936(昭和11)年 33歳
二科会の会友、受賞クラスの作家による新美術家協会の会員となり出品。(以後毎年)

1939(昭和14)年 36歳
長男泰夫うまれる。 児童雑誌『コドモノクニ』に童画を掲載。

1942(昭和17)年
第29回二科展に「波」「運河」を出品、二科賞を受賞。
                                
以後制作途中
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