雑記帳

6.井戸を掘ったのは誰か 2004.7.14

 29歳で画廊を始めて20年、私ももうすぐ50歳になる。最近は忘れっぽく、人の名前がなかなか思い出せない。
今度の選挙で度々テレビに登場した田中真紀子氏の父君角栄氏は、一度会った人の名前はけっして忘れないことで支持者の信頼を得たと言われている。宮沢賢治が「雨ニモ負ケズ」のなかで、「誠実であることの一つは忘れないことだ」と言っていた事の実践だ。
画廊主として名前を忘れると言うのは致命傷か?
しかし、人は忘れることで心の平穏が保たれているとも言われている。
昔見た映画の台詞にこういうのがあった。
男女の別れ際に女が「・・私はあなたのことを忘れるわ。でも、あなたは、私のことを忘れないで一生苦しんで・・。」 なるほど。
 おじさんは直ぐまとめたがるというか、教訓を得たがるが、つまりこういうことか。(例証が少なく飛躍に見えますが)

 忘れない=誠実=苦しむ=不健康
 忘れる=不誠実=苦しまない=健康

健康な大衆は忘れやすいのである。

府中市立美術館で高松次郎展を見た。私が初めて高松次郎に会ったのは20年以上前、大阪の国立国際美術館の展覧会のときだ。白いスーツを着た画家は、カッコよかった。若い私には憧れの人、雲の上の存在だった。
今度の展覧会は、改めて画家の全体像を知るよい機会だ。後の作家の多くが影響を受けていることがよく分かった。ただ、あのカッコよさがイマイチ伝わってこなかったのが少々不満だ。
高松のはっきりした位置づけには、もう少し時間を要するかもしれないが、こういう展覧会を開催することは、美術館の大きな役割の一つだと思う。

日本に来たケ小平が、権力の座から離れて失意の中にある田中角栄を訪ねて言ったという。「中国人は井戸を掘った人のことを忘れない」
日中国交正常化を成し遂げた業績を忘れないと言うのである。
高松次郎にがぎらず、戦後現代美術の各作家の業績をまず披瀝し、位置づけには大衆も参加したいものだ。
義理と人情も時には必要なのである。







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