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雑記帳
古い藝術新潮に岡本太郎と土方定一氏の対談が載っていた。
日本絵画には、現実の再現と言う意味でのイリュージョンという考え方はなかった。と言うような話の後で、アカデミズムの話になって、土方氏が「アカデミズムとは、オーソドックスな絵画技法を確立して、その伝統を継承して行くこと」と定義していた。
東京芸大の銅版画の礎は小磯良平と駒井哲郎が作り、その銅版画アカデミズム(そういう言い方があるかは知りませんが)を継承しているのが、中林忠良、相笠昌義の両氏である というのが一般的な認識のように思う。
それでかどうか、今回の展覧会は銅版画をメインに展示している。
初期のピカソの模写のような古典主義による連作、次いで文明嫌悪症連作、そして現在進行形の日常生活シリーズである。
今回初めて、日常生活の前に時間差計画というのがあったのを知った。
桐の木を季節を変えて描いた作品など見ていても、タイトルに気を留めなかった。現在も子供の夏の姿と冬の姿、あるいは昼の駅と夜の駅などはそこから続いていたのだ
昨日は平日にもかかわらずけっこう人が入っていた。そして誰もが絵の前でじっと佇んでいる。私もゴリラの前に10分はいた。皆なにに共感しているのだろうか。
相笠氏の言う「日常生活で感じる奇妙なズレ、ある種の重苦しさ」は、誰もが多少は持っていると思う。
それへの共感かもしれない。
相笠作品を収集しているコレクターが「自分の支持する作家はなかなか評価されない」というようなことを言われたが、このような作品を誰もが好んでポピュラーになるというのも変な話だ。
しかし、寸詰まりの童女図が平成の麗子像になることはありえる。
真実は強いのである。
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