雑記帳

10. 瑛九(1911〜1960)       2006.2.15

 1936年2月11日、杉田秀夫は100点あまりの写真作品とデッサンなどを持って久保貞次郎を訪ねた。そこで久保の高等学校時代の舎監三上英生にそれらの作品を絶賛される。久保は、三上が何故そんなに賞賛するのか皆目分からなかったというが、三上の言葉で久保が瑛九に興味を抱いたことは間違いない。
「私の出会った芸術家たち」で、久保の「資料の整理と分析」という手法を三上から学んだと、三上に大きな信頼を寄せていることを述べている。
翌12日杉田は長谷川三郎を訪ね、すぐに長谷川が外山卯三郎に引き合わせた。そこでこの写真による作品を「フォトデッサン」と命名し、画集「眠りの理由」の刊行がすぐに決まったが、作者名の決定にはすこし時間を要した。
本人が「杉田秀夫ではあまりに平凡で、過去のカスがくっついていていやだから、この機会にキューピーというような思いきり突飛な名前に変えたい」と言い出したからであった。
突飛な名前とは、マン・レイという突飛な名前からの連想だろう。するとすこし強引だが、QはキューピーのQとして。Ei はMan Ray のRay → Rei → Ei となり Q Ei の誕生である。
瑛九という漢字名については、瑛は不明として、九については三上、長谷川、外山の三人の名前から三を採って三×三=九としたほうが、経緯からして順当な気がする。(星野三郎でなく)
この2月で瑛九という名前が生まれてちょうど70年ということになる。
(瑛九 評伝と作品 山田光春著 を参考にしました)
 





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